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映画・テレビ

やっとやっと明日放送!

待ちわびていたドラマ『極北ラプソディー』ようやく明日となりましたsign03
長かったよ…

あんまり期待するとがっかりするから、あまり出番はないものと思っておこうと自分にいい聞かせても番宣を観ただけでボルテージは上がるよhappy02
動く祐一郎さん、しゃべる祐一郎さん久しぶりだーっ

明日も1日頑張る!



レ ミゼラブル 映画

年末の忙しい中あちこち掃除したいところを目をつぶって年内には是非見たいと、「レ ミゼラブル」の映画を観てきました。

先に観に行った方が予告に舞台版の映像が流れると言っておられたので、楽しみにしていたのですが、流れませんでしたweep
流れるところと流れないところがあるみたいです。
もう一度は観に行きたいと思っているので、次回は違う映画館に観に行きたいと思っています。

で、本編。(ネタバレあります!)
結果クロリンタオルハンカチがしとしとになりました。
最初はどうしても同じメロディラインなので、『違うそれは違う』とバルジャンに違和感があったんです。がすぐに映画の世界に入り込んでいつのまにか忘れてました。
舞台と同じく全編歌で紡がれて行くのですが、映画でないと表現できない映像が全く違和感なくレミゼの世界をつくっていました。

冒頭の囚人の歌や仮出獄許可証を破り捨てるところの視点がずーっと上に登って行くところや、1幕の民衆の歌のところは身震いしました。 またジャベールの自殺のところも違う意味で身震いが。

舞台では想像で補うところがリアルな映像で見せられるといかに自分が舞台を観ながら想像力が欠如していたかがよく分かりました。
エピローグでエポニーヌじゃなく司教さまがお迎えに来た時はそれよそれ!と強くうなずいていました。
ファンテーヌの『夢やぶれて』は舞台版とは歌われる時が違うのですね。
工場を首になってからのくだりがよりレミゼラブルで、あのより絶望感がある歌に納得です。
バルジャンのヒュージャックマンは最初こそ違和感を感じたものの、いつの間にかバルジャンとして観ていました。「Who am I?」は画面が切り替わる事なく裁判所になって舞台版みたい、ここ好き!と盛り上がってました。
ヒューはジャンバルジャンと歌い上げないんですね。
あれっ?と言う感じでした。
もっといつもの見慣れた感じと違うと思ったのは、ラッセルクロウ演じるジャベール。
存在感があるんだけれど威圧感ではなく、時に人情家です。
学生たちは舞台版よりあっさりと描かれていました。
そしてより虚しい。バリケードでだんだん敗色が濃くなって来ている気配の時、もうやめようよ…と死ぬのはよそうよと画面に向かってつぶやく私…
そしてマリウス。
パンフで真っ先に名前を確認してしまいました。好きかも〜
音は音響のせいななのか少しもの足りなく感じました。

次は舞台で身体中に降ってくる音、身体に響く音、包みこまれる音、を体感したい!と強く感じました。
早く舞台が観たい。祐バルを観たい〜
(こうなることはわかっていたんだけれど…)

パイレート・クィーン 『アップ&UP』見ました

9月18日 『アップ&UP』のパイレートクィーン情報を見ました。
今日は帰ってから楽しみがあると思うとついついふふっとほくそ笑んでいたみたいです。
帰宅してからすぐに撮れているかどうかチェック。
HDDに入っているのを見てひと安心でした。

実際の放送は、短い〜〜
編集されたCMをそのまま流して、パーソナリティが最後にしめくくっておしまいという感じでした。
始めに保坂さん、祐一郎さん、涼風さんがひと言ずつ、「番組を、ご覧の、みなさま」
製作発表の時の集合写真や、プリンシバルの方々が、立ってカメラのフラッシュを浴びている写真が一瞬流れました。
インタビューは、楽曲を歌っている画面をベースに、保坂さん、涼風さんが、コメントされて、祐一郎さんは「とっても魅力的なものがいっぱいはいっている作品なので、楽しんでいただけたらと思います。」

ちょっとお疲れ?眠そう?な様子でした。
制作発表、帝劇ダンスオブヴァンパイアのお休みの日でしたよね〜
新作はどきどきしますが、いい作品になって欲しいと思ってます。

ぼそっと・・・
スペクタルアドベンチャーと始めにつくのがなんだか恥ずかしいのは私だけ?coldsweats01

篤姫第50回

篤姫最終回です。
いきなりオープニングのタイトルロールが横から流れて来ました。
いつもと違う様子に「あぁもうこれで終わりなんだなぁ」とのっけからしんみりした気持ちになりました。
とどまらない流れて行く状態に、"時代が流れて行く世の無情"を感じて(←考えすぎ?)いきなり感傷的に。

そして本編です。
急に月日が流れて○年後というテロップが出るような流れではなくいろんなエピソードをまじえながら篤姫の残りの生涯を丁寧に描いていった様に感じました。
篤姫さまと和宮さまのおしゃもじのエピソードもありましたね。

様々な人が亡くなっていきそしてその想いを受けて篤姫が「それぞれの天命がある」と言います。
そういえば第1回は"天命の子"というタイトルでしたね。
篤姫が亡くなる場面でずっとさかのぼっていったのもすべてはそこから、つながっているんだと実感しました。

そして、人はそれぞれ生まれながらの役割があると。世に生をうけた者はそれぞれ役割を担っていると。
いままで篤姫の生涯をおって話は進んできたけれど、一方で篤姫の周りにいる人々の生き方もおってきたんじゃないかと思いました。そして新しい日本を創るという心を持ちながら亡くなっていった人々がいればこそ、今私たちの日々があるのだと思いました。
見ながら"レミゼラブルのエピローグ"を思い出してなりませんでした。

婚約の日に参上した滝山をはじめ、元大奥に仕えし者たちが皆で写真を撮ろうとした時、写真屋が「いい顔している」といったのは、皆それぞれ役割をはたして来たから、そして今もそれぞれの道ではたしていっているから、なのかなと。

そして最終回の久光さま。
思ったより出番が長かった!happy01
そして久光さまの生き方もダークな面のみ強調されるのではなく必然であったのだと思える場面でした。

久光さまの出番を楽しみに見始めた大河でしたが、出番がない回も毎週楽しみに見ました。
大河を最後まですべて見たのは何年ぶりか…
あおいちゃんの変わりかたも素晴らしかったけれど、他の出演者の方々も、そして脚本もよかったと思います。
来週からもう見れないのかと思うと寂しいです。

篤姫第49回

先に第49回を書いて第48回を書けないうちに最終回がきてしまいましたので、思い切ってとばすことににしました。
続けるって難しい…

第49回
大奥の明け渡しが近づいて自分より皆の事を案じていた篤姫ですが、去る日になって自分個人の想いが溢れた篤姫に涙腺がゆるみました。特に亡き家定公との思い出はこの大奥にあることですし、ふと振り返ればつらい事でしょう。
そして滝山です。
私は大奥と共に消えたいと言う滝山。
役割という言葉は出てきませんでしたが、滝山は自分の役割は終わったと言う事なのでしょう。
その強い意志は見ている私の心を打ちました。
なんと潔い、滝山の生き方も一本道ですね。
篤姫が駕篭に乗った後、大奥を背景に深々と頭を下げる滝山は大奥そのものに感じられました。
篤姫が大奥を閉じるものとして大奥に呼び寄せられたのならば、そこに滝山が居たのも必然だったのかかもしれません。
そして駕篭が大奥を出たあとの、いつも冷静で私情を挟まなかった滝山の涙は衝撃ではあったけれども納得できるものでした。
滝山好きでした。

いよいよ次回で最終回です。
一年間楽しみにしていた篤姫が終わるのは寂しいことです。心して見ようと思います。
久方ぶりに久光さまも見れることだしねwink

篤姫第46回 47回

第46回

徳川慶喜を篤姫は嫌っていたという事に基づいてか、慶喜さまはぼろぼろでした。
前々から斜がかかっているような描かれ方で、また平さんがそれをうまく演じられているので、とことんブラックだなと思ってました。
これは篤姫目線だからなんでしょうか?
そうは思いつつ、生き恥をさらして貰います!と言い切る篤姫さま"かっこいい!"と思って見てました。
そしてその後のフォローがまた素晴らしい。
家族だからです。と言う篤姫さまに「出たぁーっキーワード"家族"」とつっこみを入れて見ていましたcoldsweats01
役目と家族はキーワードですよねwink
慶喜の立場はわかりますと言う姿に、懐の深さ、器の大きさを感じました。

次回は幾島が再び登場です。
またあのキャラに会えるのかと思うと非常に楽しみです。

第47回

幾島登場です。
地味で簡素な衣装ですが、やはり幾島は幾島でした。
でも稲妻をしょって登場ってcoldsweats01
張りがあり貫禄のある声で、画面に登場するとぴしっと締まる気がします。
もう二度と会う事はないだろうと思っていたのに再び会えるとはという篤姫さまの感情が痛い程伝わってきてじんわりきました。
上に立つ者の孤独、この難局をどう切り開いていこうか考えたときに以前導いてくれた幾島という存在は、心強かったのではないのかなと思いました。以前とはもはや違った立場であったとしても。
勝さんにこころやすらかにしてと言われて、やすらかは無理という篤姫さま。
そう答えられる事自体が冷静です。
なかなかそんな事言えません…

そして今回わからなかったのが本寿院さまの涙です。
これの意図するところが、わかりかねます。
篤姫さまの心遣いに涙したのか、大奥の終焉を感じて涙したのか…
どうなんでしょうか?

1年間楽しみにしてきた篤姫。
もう3回で終わりかと思うとさみしいですね。

篤姫第44回,45回

第44回
大奥を守ってみせると言う篤姫さまです。
その姿に『役目』という言葉が重なってじんとしたのでしたが、でも大奥の存在理由はもうないのでは…と思う心の声もあります。
理屈ではそう思っても、実際感情的にはじんとしてしまう…田渕さんマジックですね。
時代は刻々変化していき、日本を変えようとしているうねりと、大奥という閉鎖空間で暮らしている人たち。
その対比が興味深く思われました。
以前にも感じた事ですが、例えば井伊さまが暗殺される場面は大奥の平穏な行事との対比でした。
豪華絢爛な衣装を身にまとい、このまま平穏な大奥での暮らしを続けられるかと不安に思う人々。
実際その立場ならそう思っているでしょう。間違いなく。
でも立場を変えてみると違った光景が現れるのではないでしょうか?


第45回
篤姫の母上幸さま。
"篤姫は徳川の人間、そして私は島津家の人間です"ときっぱりと言う母上さまです。
"薩摩の女子には薩摩の女子の筋の通し方があります"
凛としていいきる母上様素敵です。
でも後で"あの子は薩摩に帰ってこないでしょう"と。
"それでも文を書かずにはいられなかった"と言う幸さま。

本当に公平です。そして、客観的に自分を顧みています。
この母上があったこそ、篤姫があったのだと説得力がありました。

ふと思ったのですが、篤姫や幸さまだけではなく、登場人物のキャラが充分たっているなと思います。
文を書いて欲しいと頼む帯刀も、それは出来ないと拒む幸さまも、薩摩に帰らないという篤姫さまも、滝川も、重野も、それぞれの立場だったらそう答えるんだろうなと納得のいく台詞です。
それぞれの立場によりそった受け答えが、そのときその時の見ている側の感情移入につながるんだろうなぁと感じました。

そして本日の久光さまです。
ほんとにちょっと。
そして、なんだか尻切れとんぼです。
これってご本人曰くの時間がなかったからなのでしょうか?

篤姫第43回

FCイベントも終わって、気がぬけたのか体調を崩していましたが、しっかり篤姫はリアルタイムで見ましたhappy01
このままだとどんどん取り残されていくだけなので、書けるところから書こうと…sweat01

家茂が亡くなったのを知り呆然とする、篤姫さまと和宮さまです。
こころがすれ違っていた2人ですが、ようやく心が通じ合えたんだなぁと思ってじんとしました。

"髪をおろさない、京に帰ると言われている"という和宮さまの真意を問う篤姫でしたが、「幕府も大奥もどうでもいいのです」と答える和宮さまです。
ここでの対峙をみて、篤姫さまが、見ている私たちの、そうありたい、そうふるまえたらいいな、という理想の姿ならば、和宮さまは、等身大の姿かなと感じました。
客観的にみれば、どうでもいいと言うのは無責任なと思うかもしれませんが、実際その立場に立てば、感情的にはよくわかるなと。
そしてそれを理解して受け入れた篤姫さまはさらに理想像ですね。
そして、学びたい、(でしたっけ?)と言う和宮さまも素直で素晴らしいです。
うんうんと頷いて見ていました。

そして本日の久光さまです。
一瞬だわ〜
今日もお怒りです。お怒りの姿が多く感じられるのは気のせいsmile
でも嬉しいです←何が?coldsweats01

篤姫第39回

今回は、3人の母が印象に残りました。

まず、観行院さま。
あまり感情を表にしない和宮さまが、初めて感情をあらわにし怒気を含んで「だれが病気にしたのか」と言い放ちます。
その娘の心中を察して、「宮さんの思う通りにしたらよろし」と肩を抱く母。
以前から、篤姫サイドとの諍いがある度に、和宮さまを気づかっていた母。
慈愛に満ちた母の姿に、涙腺がじわ〜っと‥

そして篤姫の実母お幸さま。
薩英戦争に出陣する篤姫の兄に、「薩摩武士の本分を尽くすのです!」と言って送り出したあと"死なないで帰ってくるのです" と母の心の声。
あまりに切なく、そしてお幸さまの老いが感じられて、またじわ〜っと‥

そして篤姫さま。
篤姫さまは少し違います。
理屈ではない感情のほとばしる母ではなく、きちっと筋道を立ててくる母です。
家茂の身を案じて、感情が揺れますが、最終的には論理的です。
家茂の母というより、徳川の母だと思いました。

そして本日の久光さま。
イギリスの出方を気にしつつも、火の粉を振りはらねばとおっしゃる姿に、"おぉっnoteかっこいいheart01"と思った私はどこか間違っているのでしょうかcoldsweats01

篤姫第38回

今週は"一瞬だ〜っ"と心の中で叫んでしまった久光さまです^^;
「長州め〜っ!」とお怒りの籠の中のお姿でした…

特に印象に残ったのは、滝山と対峙する篤姫さまのシーン。
なんて事を!と憤る滝山ですが、篤姫さまの受け答えに、"ひょっとして…篤姫さまが旗を振っている?"との疑惑が芽生えます。問いつめる自らの姿にはっと気がついて下がった滝山ですが、裾を翻して下がる姿には、「篤姫さまに違いない!」という叫びがみれて面白かったです。
こんなシーンは楽しいです。

ただ気にかかったのは、少々前から篤姫さまの言葉が正論すぎてちょっと感情移入出来ないところです。
ひょっとして久光さまフィルターがかかっているせい?という疑惑もありますがsweat01
人一人の命云々といわれましたが、この時期一人とはいわずたくさんの人が命を落としているはず。
決して人の命が軽いとはいいませんが、あまりにリアリティに欠けるのではないかと思います。

京サイドの描き方も、絵に描いた様な憎まれ役で、うーんどうだかなぁと思います。

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