レベッカ その2
マキシムはレベッカを愛していたのか?
私は否と思います。
【彼女の真実】で"私をみちづれにしたかったのだ"という台詞があります。
自分の思うように生きていたように見えたレベッカ、でも実は孤独だった姿が明らかにされます。
ダンヴァース夫人さえ知らされてなかった真実。
みちづれとはどういう意味なのでしょうか?
マキシムに負い目を負わせることによって自分を消し去ることが出来なくすることなのでしょうか?
忘れ去られるということはレベッカにとって負けだったのかもしれません。
今回みちづれにしたかったんだとつぶやくマキシムからは憐れみ、憐憫の感情が感じられました。
愛してないけれど、他人でもない複雑な感情です。
払っても払っても取りつかれていたレベッカの亡霊。
その呪縛から逃れられたのだと思います。
【夜を越えて】は【こんな夜こそ】と対になっていますね。
【こんな夜こそ】で
"愛とは何か私は知りたい"
【夜を越えて】で
"愛こそ何か みつけた 今こそ自由と"
クンチェさんのキーワード自由です。
これはレベッカの呪縛からの自由なんでしょうか?
この時点ではマキシムとわたしはマンダレイにかえり、2人でマンダレイで新たに始めようという希望があります。
少なくともここのマキシムは晴れやかでした。トレンチコート姿うんぬんは別にして
レベッカの呪縛から逃れてわたしが希望と未来をくれたことがよく解りました。
このまま終わればハッピーエンドですね(道義上の問題はあるにしても)
でもマンダレイは燃えてしまった。父から受け継いだ誇りと共に。
レベッカの呪縛から逃れられなかったダンヴァース夫人と共に。
ダンヴァース夫人は何故マンダレイを燃やしたのか?
前回観たときはマキシムへの復讐とも思ったのですが、今回【レベッカが歌う】でダンヴァース夫人に動揺が感じられたのです。
あの強い何者にも負けない完璧な女王のレベッカが自殺…
マキシムに殺されたと思っていたらマキシムを憎むだけで、レベッカという偶像は無傷のままです。ダンヴァース夫人の歌にはレベッカ帰ってきてという哀願が感じられました。
このままだとわたしとマキシムにレベッカの存在した証がことごとく消し去られてしまう。
そうはならないように、マンダレイをレベッカの亡霊と共に焼き尽くしたのではないかと思いました。
その3に続きます。

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